被災地応援キャラバンvol.8

行ってきました元気と笑顔を届けに!!

日 程;5月29日~31日

訪問地;福島県白河市・浪江町相馬・相馬市

    宮城県気仙沼・唐桑舞根

福島相双地区および宮城県気仙沼・唐桑舞根地区へ結ぶメンバー

及び有志の7名で元気と笑顔を届けに行ってまいりました。

一日目

今回は第5回「わすれない311」に参加して下さった皆様へのお礼が目的の一つです。しかしそれだけで終わらないのが私たちNPO法人「結ぶ」なんです。新白河でレンタカー(バス)を借り、運転して下さるのは3月に来て下さった、白河のKさん、天栄村のBさん、ご同行くださるYさんと10名になりました。白河城(小峰城)を車窓観光しながら4代続く酒屋さんの大谷忠吉本店へ(萩原朔太郎の奥様の生家)震災後やっと少し軌道に乗ってきたという酒蔵を見せて頂き、それぞれお土産にお酒を注文してきました。(復興支援の一環でしょうか?)その後四倉漁港へ何もなくなった漁港に少しずつ活気が出てきていました。食堂で海鮮丼を食べ一路浪江請戸地区へ。途中第二原発、第一原発を遠くに見ながら6号線(常磐道)をひた走る。線量が高い地域や除染した黒い袋が山積の場所、人の気配が感じられない地区を複雑な気持ちで通る。バリケードが張られ帰宅困難地域が生々しい。自然に気持ちが落ち込み溜息しか出ない。請戸地区では堤防や道路建設が始まっており、ダンプカーの往来が激しい。以前の漁港の賑わいは全く感じられない。複雑な想いを胸に相馬へ向かう。相馬では十数年前都筑から相馬へ移られたKさんと3月にお話をしていただいた旅館みなとやさんのKさんの案内で震災後相馬で自然法による養鶏をはじめた菊地将平さんの鶏舎へ訪れ、夢いっぱいの話を伺い、おいしい卵ミルキーエッグの卵かけごはんの朝食を楽しみに鶏舎をはなれ一日目の宿「みなとや」へ。相馬の漁師さんなどが加わり、気が付けば17名の大所帯(やはり結んじゃうんです。)での夕食となる。活発な意見交換で時間も忘れるほどであった。相馬の若者たちが震災を自らの手で断ち切り前へ進んで行こうとする姿に感銘をうけ、応援したいと心から思う。白河から一緒の3名はここでお別れである。 

二日目

朝ロビーへ行くと昨夜天栄村へ帰ったはずのBさんが相馬の皆様に自分の作ったお米を食べてもらいたくて朝4時起きで脱穀し持参していたのです。又港湾事務所へ紹介して下さった方なので一緒に相馬港湾建設事務所へ視察に行って下さった。なんと優しい方なのでしょう!!港湾の方の案内で相馬港の過去と現在の様子をパネルや映像、現場を見て説明頂く。慰霊碑には458名の名前が刻まれており、胸が苦しいくなる。住民の声に耳を傾け工夫をこらした町つくりを推進している状況を見て、少しほっとした。相馬から亘理へは常磐線の代替えバスにのり亘理から仙台(常磐線)仙台から一関(新幹線)一関から気仙沼(大船渡線)を乗り継ぎ気仙沼へは午後四時ごろ到着。懐かしい顔の出迎えである。SさんとSさんの車に分乗し気仙沼5度目の訪問で初めて市内が一望できる安波山へ。復興が中々進まない状況を上から見学。かさ上げされている場所がふえている。ホテル到着17時30分。夕食は7名+6名その中にはなんと大船渡からも我々に会いに来て下さったOさんまで。嬉しくてほろっとしてしまいました。多くのご縁が繋がっているのを実感しました。ありがとう!!夕食は気仙沼で今年初めてあがった初鰹のお刺身付きでした。翌日の新聞のトップ記事、気仙沼で初鰹水揚げ!!なんて運がいいのでしょう。こんなご褒美があるから、ボランティア続けられるのかもしれません。夕食は大いに盛り上がりいっぱいの話の花が咲きました。

三日目

朝魚市場で鮫の水揚げがあると聞き朝食前に見にいきました。市場ではクロマグロやカジキマグロなどが競りにかけられており、奥の方でありました!ネズミ鮫(モウカ鮫と呼ばれる)血まみれの鮫の尾びれ、胸びれ、背びれ等が切り取られ、高級食材のふかひれとして我々の口に入るのです。約600体が圧巻の姿を見せていました。朝食後最初の訪問は三陸新報社。震災発生時は大混乱の中取材に出掛けるもの、社内に残ったり、家族の安否確認に奔走する者たちが、それぞれの役割を無我夢中で果たすべく動く。電気も、印刷機も動かない中でも工夫し一日も休むことなく発行を続け、現在は震災前の水準に少し近づいてきているとの話であった。活字が被災された方にどんなに勇気と、元気を与えたか等新聞の持つ役割の重要さを教えて頂きました。Aさん、Wさんお忙しい中ありがとうございました。次なる訪問地へ腹ごしらえをして、Bさんの先導で唐桑舞根地区へ。「防災集団移転促進事業」として政府、県へ復興事業にも費用対効果」の視点を持つ事を提案、移転要件緩和を実現、既存コミュニティーをそのまま移転することを成功させた立役者である畠山孝則さんのお話を伺う。真新しい家が高台に並び、なんとなく新しい息吹が感じられる。集会所では地区の男性が集まり会館の看板つくりをしていた。皆表情が明るく元気である。こちらの気持ちも明るくなる。多くの出会い、関わり、実りある時間に、いっぱいの仲間に感謝しながら帰路につく。5年過ぎた被災地、地域差がある中で、今後わたしたちはどのようなかかわりを持っていくのか、考えるよい時間の共有が出来たことに改めて感謝するとともに、今回お世話下さった被災地の震友達、新たに震友になった方々と共に進んで行きたいと強く感じた3日間有難うございました。     文責 図子 俊子

大倉忠吉本店内見学

四倉漁港には復興を願う絵がいっぱい。

6号線沿い除染された黒い袋の山
浪江請戸地区湾岸工事現場
放置されたまま・・住民はどうしたのかしら?

相馬大野村農園鳥の餌
若冲だー日本古来の鶏
菊地将平さんの説明を熱心に聞くメンバー
生みたて卵を明日の朝食用に取っている

相馬松川浦大橋まだ通行は出来ない。
大歓迎会のはじまり乾杯!
相馬の若者たちがいっぱい夢を語る。
新し出会い、再会みんな嬉しそう。

相馬港湾建設事務所訪問
復興の為のパンフレット類
港湾工事の現場
高台から説明を受ける。

相馬港湾局建設事務所の皆様と記念撮影
港湾局の屋上から説明を受ける。
お世話になったみなとやさん。おいしいご飯をありがとう。
相馬駅舎常磐線の代替えバスで亘理へ

安波山から気仙沼市内をみる。
大広間での夕食、懐かしい顔に思わず頬が緩む。
600匹の鮫
お世話になったホテルの前で。

震災前と震災後の比較写真
震災翌日の新聞必死さが伝わります。
震災後休むことなく作られた新聞
三陸新報社

東舞根集会所前で。
震災当時の様子を舞根地区より説明を受ける。
舞根集会所の看板を作っている住民の皆様
熱心に高台移転の状況を説明するHさん